第三章

『にほんごであそぼ 雨ニモマケズ』はアンソロジー。
アンソロジーは危機の時代に編まれる。
アンソロジーはミュージアム。
低迷する日本文化を音読暗誦が救う。
NHK教育テレビ『にほんごであそぼ』は、“一つの奇跡だ”。
この“奇跡”を大きく育て上げること。継続させること。


ミリオンセラー『声に出して読みたい日本語』(著・齋藤孝 草思社刊)を参考に平成十五年四月テレビ『にほんごであそぼ』(監修・齋藤孝)が誕生した。テレビ番組をもとに『にほんごであそぼ 雨ニモマケズ』(著・齋藤孝 集英社刊)(平成十七年四月発売)が生まれた。
『声に出して…』『にほんごであそぼ 雨ニモマケズ』どちらも齋藤孝が編んだアンソロジー(詞華集)である。『声に出して…』は驚異的な売れ行きのアンソロジー。

・アンソロジーは危機の時代に創られる。
詩人の大岡信は、著書『おもひ草』でアンソロジーは危機の時代に編まれると書いている。
そして、大岡は、アンソロジーとして次を挙げている。『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』『梁塵秘抄』『閑吟集』『和漢朗詠集』『百人一首』『芭蕉七部集』『俳句歳時記』『句歌歳時記』などである。

二十一世紀初頭の現代も、大岡のいう大規模な変革期であると考える。明治からつづいている近代化、西洋化の波は終戦と同時にアメリカ化となりさらに徹底した。私たちは日本的なものを捨て、経済発展を国是とし高度成長を邁進し登りつめ、そしてバブル崩壊。その翌日からあらゆるものが音を立てて壊れだした。家庭の崩壊、学校の崩壊、グローバリズム、地域共同体の崩壊、競争社会の到来、コンピューター社会、憲法改正論議、少子高齢化社会、などなど。挙げだしたらきりがないほどあらゆるものが崩壊している。足元から崩れていくような毎日。

二十一世紀が始まる二千一年、音読暗誦文化の復興を目指して齋藤孝が登場した。『声に出して読みたい日本語』は音読暗誦のテキストとして編まれたが、多くの人々は今日の大崩壊時代に登場したアンソロジーとして読んだ。確かなもの、ゆるぎないもの、自分や家族や私達日本人を支えてくれるものとして『声に出して…』にある名文に殺到した。齋藤孝は繰り返し音読し暗誦して、名文を自分の身体に宝石のように埋め込むのだ、と説く。より確かなものを求める人々には、彼の身体論に基づく名文を肉体化する考えは、さらに心強く感じられた。彼のアンソロジーは古典、漢文、近現代文学にとどまらない。日常会話において潤滑油のように使われていた、歌舞伎の台詞、寿限無(落語)、浪曲、聖書の言葉、仏教者の言葉、早口言葉、数え歌、方言などにも注目した。共同体の崩壊、ご近所の崩壊は、言葉遊びや言葉のリズムを、生きのいい言葉を奪っていた。横丁のご隠居、八百屋の親爺、駄菓子屋の叔母さん、ガキ大将たちの間に飛び交っていた言葉。齋藤は日常の名文も、文学の名文も同等に大切である、と考える。

・アンソロジーはミュージアム
高橋睦郎『百人一首 恋する宮廷』−まえがき−中公新書より引用。
“ひょっとしたらこれ(『百人一首』 引用者注)は日本の秘密・詩歌の秘密を匿している凄い書物かもしれない、そのコンパクトさにもかかわらず、あの長大な『源氏物語』と並ぶ日本文学の二大傑作なのかもしれない、とだんだん思うようになっていった。” “日本の詩歌史は、まだ百年余りにしかならない明治以降の近代を除けば、結局のところ詩華集の歴史にほかならなかった。”大岡信の『おもひ草』−詞華集の役割−世界文化社刊、より引用。

アンソロジーは美術館や博物館に似ている。どちらも時間(時代)や空間(地域)、人を越えて、総合的に多彩に作品を集める。絵画芸術なり和歌芸術なりが俯瞰できる。グッゲンハイム・コレクション、ポールゲッティ・コレクションはアメリカを代表する美術のコレクション。『百人一首』は藤原定家が選んだ和歌のコレクション。美術館は過去の作品の保存と展示の場であると同時に、新作創造の場でもある。『百人一首』を知ることが、新作を生み出す原動力の一つにもなる。素晴らしいコレクションの美術館や博物館があることが、その国の、その地域の、さらに世界の人々を豊かに潤すように、読み込んだ、さまざまなジャンルのアンソロジーが身近にあることはその人の人生を、伝統的で革新的で多彩なものにしてくれる。美術館・博物館を楽しむようにアンソロジーを楽しみたい。

偉大なアンソロジーの数々、その流れを受け継ぐように、(名文途絶えてならじと)齋藤孝のアンソロジー『声に出して…』『にほんごであそぼ 雨ニモマケズ』がある、と考える。  次へ


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